2004-08-11 手袋の四声
英国の著名な舞台振り付け師がインタビューで語っている。
「すぐれた俳優が役を演じていると、俳優本人の人格がにじみ出ずにはいられない」
「あたかも手袋の中の手のように。見えないけど、常にそこにある」
少々強引だが、四声と中国語との関係のようだと思った。
学習を始めた頃、私は
「発音に四声を『付ける』」ような意識でいたように思う。日本語には単音節中の声調変化がないから、当然といえるだろう。これは歌でいえば歌詞と旋律とを別に練習していたようなものかもしれない。
しばらくピンインの書き取り練習をしていたら、声調記号をごく自然に書けるようになった。ピンインはアルファベット表記+声調符号ではない。声調符号まで含めて「ピンイン」なのだと理解できた。頭で、ではなく手で。
冒頭の演劇の例でいえば、手袋の中の見えない手が声調だ。それがなければ手は動かない。つまり、言葉を発することができない。
「対日漢語語音教程」のまえがきを引用する。さすがに漢詩の国で、対句表現になっている。
声調が中国語の魂の存するところである、中国語の声調が身に付けば中国語の発音の半分が身に付いたことになる
母音は中国語発音の血肉で、中国語の母音が身に付けば中国語の発音の主体が身に付いたことになる
子音は中国語発音の骨組みで、中国語の子音が身に付けば中国語の発音の鍵が身に付いたことになる
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