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2005年2月の6件の記事

2005-02-23 故郷の香り(3)

いろいろと本で知った中国の作法がわかって興味深かった。

1.
座が白けそうになると「干杯!」、だれかをつかまえては「干杯!」

2.
自分の箸で他人のために料理を取るのが親しみの現れ。

3.
他人の家を訪れたら食事を共にする。

4.
一皿の料理を皆で食べるからおいしい。

5.
見送りはどこまで、といったきまりはない。名残尽きねばどこまでも共に歩く。


この映画で機械が出す唯一の音は自転車が走る音だけだ。ラジオ・テレビ・電話・自動車といった「音を出す物」はいっさい登場しない。

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2005-02-23 故郷の香り(2)

原作は莫言だ。红高粱や幸福时光の作者。

NHKラジオ中国語講座テキスト2004-04号で藤井省三東京大学教授がこの作品について書いている。

原作では暖は事故で片目を失明し、3人の子は皆耳が聞こえない。

最後の部分を引用しよう。
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莫言さんの原作では暖と夫とは手真似程度の身振りでかろうじて対話しているが、映画では2人は聾学校で学習したかのような巧みな手話を操っている。夫は学校教育を受けられるような恵まれた環境には育ってはおるまい。そして暖が心の通い合う夫と、話のできる愛らしい娘と一家3人で幸せに生きていくという設定は、原作の孤独な暖の暮らしとは相当にかけ離れている。莫言さんが残酷な運命に主体的に立ち向かうまでに成熟していく農村女性の劇的な変身を描いたというのに、映画はこれを貧しくとも苦しくとも愛しいわが家、というメロドラマに作り変えてしまっているのだ。
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映画「暖〜ヌアン」とは、珠玉の短編「白い犬とブランコ」を中国農村の実情とは縁遠い、都会人の身勝手な想像によって改変した物語といえよう。
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原作と映画とは別のものだと割り切って鑑賞すればこの映画もすぐれた作品だ。映画を見てから原作を読むべき作品なのだろう。その逆をすると藤井教授と同じ思いをすることになりそうだ。

このblogで白酒について書いているが、この映画でも白酒を豪快に飲み交わす場面があった。ガラス瓶に入ったあの酒がアルコール分50%を超える酒だという知識があると映画の中の人間模様を深く理解できると思う。

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2005-02-23 故郷の香り(1)

中国映画「故郷(ふるさと)の香り」を見た。皆さんに勧めたいすぐれた作品だ。現在は東京都中央区銀座の1館だけで上映なのが残念。

芸術としての話は少し置いておいて、中国語学習者の視点でいくつか...。

1.
場面は農村なのだが、普通語がとても明瞭。やはり字幕なしで全国で上映できるようにするためにはやや教科書的な中国語にする必要があるのだと納得した。

2.
いままで学習した語句は実にはっきりと聞こえる。これはうれしかった。学習を続けていけばわからなかったところがどんどんわかるようになると思うと張り合いがある。発音を重視した学習が役に立ったようだ。

3.
「看看」のような動詞を重ねる表現が聞こえた。教科書にあったことが映画に出てくると安心する。

4.
「〜かもしれない」「〜だろう」と言うときに「会」を多用していた。

5.
食事のときに料理を勧めようとして吃饭ではなく、吃菜と言っていた。

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2005-02-21 文字を書く

修訂新中国語の課文を書き写した。読む・聞くだけでは得られない、中国語に対する「なじみ」を感じる。

漢字を共有する気楽さをしみじみ感じる。ペン習字気分で書けるのだから。

漢字を使わない人にとっては、中国語の文字を千個記憶するというのはたいへん難しく感じるだろう。おそらく
西夏文字契丹文字を私たちが見るときと同じではないのだろうか。

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2005-02-17 漸進

中国語会話 グズでノロマな独習体験記」の筆者 Aichan は私の尊敬の対象だ。学習方針が確固たるものであるだけではなく、自らの体験をわかりやすく衒い(てらい)なしに記録してみせる手腕がたいしたものだと思う。

このweblogに中国語の教科書「新中国語」を評して次のように書いている箇所がある。
「基礎力をつけるには、このテキストはよくできています。北京語言学院の専門家たちが外国人に中国語を教えるためのエッセンスを注ぎ込んだ力作という感じがします。」

私が使っているのは縮約版の「修訂新中国語」だが、上記のような編集方針が最近よくわかってきた。北京に留学している「山本」やその友人である「丁力」・「张文」の日々の行動を教材にしているのだが、課が進むに従って同じような場面をだんだん詳細に描写していくのだ。「山本は中国語を勉強します」だったのが、「熱心に勉強します」になり、「復習・予習します」につながっていく。課の本文もだんだんと長くなり、学習が進んでいる実感をなんとなく味わえる。


この教科書の編集は1980年代で内容は少し古いし派手さは全くないが、滋味とでも言うべき良さがあるように思う。

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2005-02-12 総合学習

かぜをひいて中国語練習をすこし休んでいた。
数日ぶりに教科書を読んでみると、四声が少しいいかげんになっている。学習を初めて1年に近いが、やはり外国語だ。そう簡単には自然に口をついて出てこない。

基礎的な文法事項をひとまず「あげる」ことが大切だと説く教育者もいるが、私の学習は(まだ)この方法をとっていない。私の念頭にあるのは中学生の英語の教科書だ。とりあえず「まるごと」覚えて言語に対する親しみ・感覚を身につけようと思う。文法学習はそれからでよかろう。

青山学院大学の遠藤光暁教授は「話す中国語」のまえがきに次のように書いている。
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私が最も効果的だと思う方法は、音読と暗記です。それも単語とかをばらばらに覚えるのではなく、まとまった文を丸ごと覚えてしまうのが迂遠なようでいて最も近道です。
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修訂新中国語(上)も残すところあと少し。下巻ではいろいろと新しいことが出てくるので楽しみだ。「やさしくくわしい中国語文法の基礎」を参考にする日も近いだろう。

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