2006-04-09 過ちは繰り返さず
もしくは「羹に懲りて膾を吹く」になるかもしれないが。
中国語の学習を始めるときにまず考えたのは、将来聞き取りに困らないようにしようということだ。会話は聞く・話すの二つの要素で成り立つ。聞きとれないとそれこそ「話にならない」。
英語の学習サークルで痛感するのがテキストから学習を始めてしまうことの弊害だ。ドラマやニュースを聞いてわからない箇所があるとする。ホワイトボードに
「こうじゃないかな」
と書く、または台本を読むと
「あ、そうだ。確かにそう言ってる!」
と多くの参加者が口にする。
この
「そう言われればそう聞こえる現象」
は日本を、いや、世界を覆っていると思われる。
中国語の学習では同じ目に遭いたくないと強く思った。だから、新しい語に出会うのはまず音から。ピンインで書き取れたあとに教科書を見る。
音読はあまりしない。教科書本文を記憶してしまえば録音教材(手本)と同時に口に出すことができ、それを録音すれば手本と比較して矯正ができる。不思議なことに、手本と同じ速度・同じ抑揚で読めるようになると意味がしっかりと理解できてくる。
人間テープレコーダのように課文を記憶するのではなく、情景を思い浮かべてそれを描写する要領で話すようにするとうまくいく。こうして、
「こういうことを伝えたい(描写したい)」
という思いを中国語の文に直結させることができないかと実験している。
「そう言われればそう聞こえる現象」と並んで学習者を悔しがらせているのが
「そうだ、そう言うんだった現象」
だ。会話の流れの中では適切な表現を思い出せず、後になって記憶の中から表現をたぐりよせる。
外国語の運用で大切なのは、持っているものを瞬時に動員する能力だ。特に会話では
知識×動員能力=伝達量
という掛け算が成り立つ。知識は豊富だがなかなか取り出せないよりは、少ない持ち駒を即座に動員できるほうが良い結果を残せる。
この動員能力を鍛えるためには、ごく初歩のうちから反応速度を重視して練習すると良いのではないかと思う。習ったことはいつでも即座に使えるようにすると、新しい知識を積み重ねていくのも楽だし、なによりも「持てる力を出し切った」という快感がある。
オリンピック競技でメダルが取れるかどうかは、日ごろの練習の成果が競技の一瞬に発揮できるかどうかだ。外国語の運用にも似たところがないだろうか。
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