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2006年12月の5件の記事

2006年 印象に残る教材

中国語の学習については今年もいろいろと教えてもらった。自らの貴重な経験を分けてくれた方、有用な書籍を企画・著述してくれた方、便利な機材を開発・製造・販売してくれた方にお礼を申し上げたい。ネットワークの発達で中国語を熱心に学習している方からもずいぶんと刺激を受けた。皆さんの学習が来年も順調に進むよう祈念する。

今年印象に残った学習材料を一部紹介しておく。

・「中国語のエッセンス」(書籍 遠藤光暁 白帝社)
「把」を使った文、補語の位置など、必然性がよくわかる。文法書の多くが旧態依然の内容を繰り返しているようだが、この本は一味違う。

・「初级汉语口语提高篇」(書籍+CD 北京大学出版社)
新出事項を最小限にし、積み重ねを重んじる方針の実用的な教材。録音教材の話し方は適度に速くいきいきしている。訪問した中国語学校ではたいていこの教材を見かけた。中級・高級まで徹底して練習するとかなりの口語運用能力が養えるだろう。

・T20(携帯型MP3再生機 Iriver)
この製品に限らず、携帯型再生機は移動や待合の時間がある言語学習にとって画期的だ。動く部品がないので、部分繰り返しなど安心して何度でもできる。

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キヤノン G90

やはり購入してしまった。
中国語辞書搭載の電子辞書ではほとんと唯一と言っていい選択肢、キヤノンG90。

セイコーインスツルやカシオは中国語辞書市場からは「下りて」しまったようだ。英語と違って購入者数が限られている中国語辞書では二番手・三番手の商品は収益を生まないのだろう。

V70を持っているが、やはりG90のほうが学習には数段使いやすい。
1.講談社の中日辞書はとてもよい。私にとって「しっくりくる」辞書だ。語義や例文がわかりやすい。例文の漢字すべてにピンインがふってあるのは思ったよりも学習に役立つ。

2.Oxford Advanced Learner's Dictionary は便利。英語雑誌を読むときにはたいてい用が足りる。

3.現代漢語詞典は心強い。いつか使ってやりたいと思う。

画面のコントラストが少し足りないが、手書き入力ができるのだからしかたがないと思う。
紙の辞典でこれだけの内容を持ち歩くことは不可能だ。知らない文字を調べている最中に関連する文字に簡単にジャンプできるのは電子式ならでは。

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2006-12-17 遅れてきた気づき

学習者の皆さんは有気音と無気音とにしっかりなじんでいるだろうか。私は恥ずかしながらごく最近になってようやくわかってきたところだ。

学習を始めたときから発音教材(解説・録音)をいろいろと使ってきた。それなりに理解したつもりになったし、聞き取りでも混同することはない。自分で発音して中国人教師に通じないことは一度もなかった。

しかし、有気・無気の区別は私の頭の中ではどうしても清・濁(有声・無声)の区別として把握してしまっていたようだ。日本語に存在しない区分だから、自動的に日本語で親しんできた区分に「変換」してしまうのだろう。英語学習者には「カタカナ汚染」(*1) として知られている現象だ。

話すとき・聞くときに、xi は「シー」、qi は「チー」、ji は「ジー」のように脳が変換してしまう。この例はそれほど深刻ではないが、r や sh、zh の音でカタカナ発音をするとそれはもはや普通語ではない。もちろん母音でも同様で、かなり学習が進んだ人でも油断すると簡単に a が「ア」、i が「イ」u が「ウ」になってしまうことがある。

困ったことにこの「変換」は非常に頑固で(*2)、意識的な学習を繰り返してもひょいと顔を出してくる。


この数週間で録音教材の聞こえ方が少し変わってきた。無気音が「有気音マイナス息の出る音」として認識できるようになったのだ。音が高いと(一声・二声・四声だと)ba は「バ」ではなく、息の出ない「パ」なのだと素直に聞けるようになった。無気音はけっして弱く発音するものではなく、「息を出さないようにしっかり出す」音だという感覚が身についてきた。


教科書を読んでわかったつもりになっても、実際に正しく聞いて発音しているかどうかは怪しいものだ。忍耐強く正直で、創造的な練習を考案できる指導者がいれば学習はずいぶん容易になり、成果は大きいだろう。

(*1) 鵜田豊氏のサイト・著書によって広く知られるようになった。
(*2) このおかげで相当ひどい発音の日本語を聞いても理解ができるのだろう。

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2006-12-16 中国語学校見学

中国語学校の様子をしばらく見ていなかったが、今日は思い立って授業を見学してきた。東京都港区赤坂の霞山会東亜学院中国語学校だ。

店舗もまばらな閑静なところにあり、建物はこぎれいで狭苦しさを感じさせない。

今日は次の二つの講座をそれぞれ数十分ずつ体験した。
・中級2(土曜に4時間半)解説には日本語使用。
・実践会話(土曜に2時間半)普通語で進行。

講師の教授技能はかなりのものだ。文法事項の説明はわかりやすいし、授業を活気あるものに保つ手腕もなかなかだ。発音はみごとなもので、普通語の教材で聞くものとまったく同じ。日本語を使わない授業では北方特有の緩急自在な話し方でかなり速く感じるが、発音が明瞭なのでよくわかる。

講師・教室の物理的条件の点で、いままでに訪れた中国語学校の中では日中学院と並んで質の高い教育機関という印象を受けた。

今日は学習の方針について気づいたことがいくつかあり、有意義な訪問だった。

○私は身勝手な学習者だ。
講師はすばらしいし、参加者も熱心だ。他の学校では発音がめちゃくちゃな学習者をときどき見かけるが、この学校の参加者はみなきれいな発音をしている。

ただ、複数の学習者が参加する授業では一人当たりの話す時間が短くなるのは必然で、準備不足の学習者がたどたどしく話しているのを聞くのは本意ではない。

どうして予習をしてこないのだろう、どうして中級なのに声調がいいかげんなのだろうと余計なことを考えてしまう。

○独習でも聞く・話す力はそれなりに身に付く
実践会話の授業は普通語を使って進行するが、例文や説明が良く聞き取れるので自分で少し驚いた。また、初めて見る文章でもなんとか読むことができた。私は学習を始めてからの期間は二年半と長いが、実質の学習時間はそれほど確保できていない。それでも授業でそれほど不自由しなかったのは録音教材中心の学習をしてきた成果なのだろう。もっとも、この授業の内容は中国語検定三級程度のもので、語彙も単純だし成語もほとんど登場しないが。

気持ちよく見学を許してくれた東亜学院中国語学校には大変感謝するが、残念ながら受講はしないことにした。

私にとっては(今のところ)他の学習方法のほうが良いのではないかと気づいた次第だ。

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2006-12-03 大きくとらえよう

中国語録音教材を再生し、録音者とまったく同時に発声して自分の声を録音する(単一指向性のマイクロフォンだと教材の音はほとんど入らない)。これを再生して教材と比較するといろいろと発見がある。

どうしても自分の発話に神経が集中するが、ときどき声を小さくして聞くほうにも気を配るべきだ。自分の発音が手本と微妙に違うことに気づくことも多い。

注意を向ける対象は意識して変える必要がある。もっとも、意識すると聞こえてくるものが違ってくるから人間の可能性はたいしたものだといつも思う。

さて、このように二年半ほども練習していて最近気づいたのは以下の点だ。
1.
個別の音をしっかり模倣しようとするとその音に強勢アクセントが付きがちだった。音節だけではなく文の流れを意識して発話することが大切。

2.
声調は弱いところ・速いところにもきちんと存在するが、機械的ではない。ときとして声の高さの変化はわずかになる。伝える内容によって速さ・強さ・高さの三要素がどのように変化するかをまるごと身に着けるとよい。

3.
速さについていこうとして余裕がなくなると日本人の弱点(日本語では区別しない点)が表面化しがちだ。
 ・声調の乱れ・弱化
 ・有気音/無気音、n/ng の区別があいまい

楽器を演奏するときに楽譜を懸命に読んでいる状態では音楽の大きな流れが失われ、作曲家の意図が失われがちだ。外国語の運用も似たようなもので、文法、語彙、発音に気を取られていると相手の話の内容が十分でなくなり、自分の言うこともしっかりまとまらなくなる。実用になる表現とは、まるごと即座に取り出すことのできる表現だと思う。

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