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2008-06-08 羮に懲りて膾を吹く

なるべく発音では楽をしよう(後々苦労しないようにしよう)と思ったのは、英語を使う経験の影響が強いと思います。人間は愚かなもので、自分の経験から学んでばかりで、真実や歴史からはなかなか学べないのかもしれません。

会議や講演会で、発言者の発音に問題があるために言っていることがわからないという経験を何度もしてきました。隣の人にそーっと
「今の話、わかった?」
と尋ねると、
「わかるわけないだろー」
などというやりとりをしたものです。

話している人はいっしょうけんめいなのですね。専門の研究をして今日の発表の舞台に立ったわけです。英語の発音というただ一点で大損をしています。質疑応答の時間で質問しようにも、質問の英語が通じにくい。答えもよくわからない。

それから、英語でも中国語でも日本語でも、話す場面・相手によって要求される運用能力は違うと思います。お友達のやりとりなら相手に負担をかけても(かけるが故に)楽しいかもしれません。ところが、相手に注意をしたり解雇を告げたりするときにはもっとずっと慎重に話す必要があります。四面楚歌で自分の主張を通すときには日本語なまりでもなんでも、とにかく「絶対に皆に一度で通じる」発音は必須です。

ここぞというときに場を和らげるユーモアや古典の引用も一発で伝わらないと逆効果ですね。ジョークに説明が必要というのは悲劇です--「ね、いまの話、ひょっとして笑うところ?」

それと、持続力も欲しいですね。外国語の会議で2時間も経つと相当疲れてきます。そうなると発音が不明瞭になったり、表現が正確さを欠いたり、ときにはぶっきらぼうに聞こえるようになってしまうことが多いのです。

丸一日中国語を話し続けていい加減疲れた後でも、相手がそれほど苦労せずに聞き取れる発音を続ける能力を身につけられないかと思います。二十年以上英語を使っていても、何日も英語ばかり話した後に日本語に戻ると、
「あーあ、楽だナー」
と思いますものね...。

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コメント

またまたおじゃやましてすみません。

発音と語学学習についての私の考えを述べさせていただきたいと思います。

「なんとか通じる発音」であれば、訓練次第で見につけられると思いますが、「発音」はセンス(音感=音痴の人がいくらカラオケ教室へ行ってもうまくならないのに似ています。)が問われるので、中国に生活するなど中国語の環境に身をおくか、日本で集中訓練を覚悟するかしないと難しいと思います。ただ、一方で普通話を話す中国人同士でもお互いの出身地のなまった発音は聞き取れないことも多いのです。まあ中国の場合、普通話教育が普及してまだ歴史が浅いので、いろんななまりの普通話があっても仕方ないことなのかもしれません。学校が行けなくてまともな教育を受けられない人も多いので。ただ、面白いのは、中国人の場合、聞き取れない言葉があってもわからないとは絶対に言わないので、日本人から見たら全部聞き取ってるものと勘違いしがちです。(**)

そこで日本の外国語教育では、発音至上主義や早期学習が浸透しているのだと私は思っていますが、彼らも完ぺきに聞き取っているわけではないのです。何でも完ぺきでないといけないという日本人の繊細さは日本人のいいところであり、誇りに思いますが、外国語教育についてまで、これをやるとマイナスではないかと私などは思ってしまいます。

発音も大事なのですが、そこそこにして、発音と同時進行でネイティブ同志が普通に使う表現力を養成すべきです。今の語学学習者の多くは、発音を重視しすぎているためか、留学してネイティブと変わらないか、それ以上に綺麗な発音が出せるのに、表現力が日本語からの直訳?と思えるような言い回しでしゃべっているのでとても滑稽に見えます。これこそまさに発音至上主義の裏返しだと思います。

日本で発行されてる中国語の教材と中国のそれを比べてみてください。使われている表現がまるで違うことに気づかされます。発音がいくら綺麗でも、本物の表現が使えなければ意味がありません。逆に日本語なまりの発音でも、表現が彼らのものであれば、彼らは手加減せずに本気で話してくれます。

もっとも、Shiraさんは、私と同じことを言っているのかもしれませんね。^^

なので発音はそこそにに表現力を鍛えましょうというのが私の持論です。1年、私の方法で訓練したら生活に困らない程度の会話力はだれでもできるようになると思います。多くの学習者がまだ発音をやっている間にも^^;

長文失礼しました。m(_ _)m

投稿: masa | 2008.06.09 10:59

masaさん、書き込みありがとうございます。

こうして意見をいただけると、ブログを書く励みになりますね。

>>発音も大事なのですが、そこそこにして、発音と同時進行でネイティブ同志が普通に使う表現力を養成すべきです。

私の考えは起点が反対側(?)で、発音練習をするには簡単な会話集を教材にすればよかろうと思いました。音の要素がだいたいできあがったら、その音を実際の語・表現の中で練習すれば一石二鳥と考たからです。実際にやっていることは masa さんの勧める方法とそれほど違わないのかもしれません。


中国の教科書(北京語言大学・北京大学)を中心に使ってきましたので、日本制作の教科書との違いは意識したことがありませんでした。英語の教材では、日本の「権威あるセンセイ」に編集者が口を出しづらいので、わかりにくいところや情報が古いところを直せないこともあると聞いたことがあります。附属CDの吹き込み者が
「こんなふうには言わないんだけど...」
と思いつつも「今更原稿を改められない」と編集者に押し切られるとか...。

中級漢語口語 第二版(北京大学出版社)はけっこう気に入っています。翻訳も手がける母語話者に見せたところ、「本当に今風の口語だ。ちょっと若者向きの表現が多いようだが、十分信頼して使えますよ」と言ってました。

投稿: Shira | 2008.06.12 19:18

論点が少し違うところに行ってしまったかもしれませんね。
すみません。m(_ _)m
Shiraさんも、発音は通じるギリギリの線を狙うということでしたので、そうであれば納得です。
まあ発音といっても、日本人学習者の一番の問題は、四声だと思いますが、これがひどいと全く通じませんので。^^;Shiraさんは、中国の、しかも語言や北京大の教材を使われているそうなので問題ないと思いますが、四声をクリアしたあとの通じない問題は、表現の違いだと思います。
これだけは、膨大な時間をかけて習得するより手がありません。私は多読、精読を通してこれらの発想を見に付けられると思っていますので(同時に聴力も会話力も鍛えられる)自らも実践しています。(^^)v

投稿: masa | 2008.06.16 11:00

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