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2010-05-29 自然な使い方

ドラマ「家有儿女」を見ていたら、
“幽什么默呀”
という せりふがありました。

「ちょっとふざけただけだよ」
「なにが『ふざけただけ』よ!」
というやりとりです。

幽默を辞書で見ても離合詞の表示はありませんし、英語 humour の音訳という説明があります。

「什么」を使うなら両端を漢字ではさむのが自然という感覚なのでしょうか。

検索してみたら和華さんのブログ「和華舎(Wakaya)別館―中国語学習帳―」に記事がありました。

ありがたいことに、その後信頼できる筋で謎が解けた記事も書いていただいています。
離合詞じゃなかった

和華さんにお礼を申し上げます。

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コメント

離れた使い方をしたら離合詞と思ってしまいがちですが、間に挟まるのが限定されるなど、違う用法も有るんですね。

投稿: arip | 2010.05.30 08:12

たしかにその使い方は家有儿女で何度か見ました。
変わったものでは、たしか“PSP”(ゲーム機)を“P什么P”とか、“啊什么啊”と刘梅が言っていたような記憶があります。文脈的には「何が○○よ!」だったと思います。

探してみたらここにも解説がありました(全2ページ、E式)。
http://qkzz.net/article/441b184c-f117-4a56-8caa-4b3171535f60.htm

投稿: chstd | 2010.05.30 17:22

「幽默」にかぎらず、口語では二音節の動詞を離合詞っぽく使うことは結構あります。特に若い方は・・

まぁ、文法にとらわれすぎないほうがいいってことでしょうか。

うちらが日本語の「お茶する」と言う言葉を文法的に説明できないのとよく似ている気がします

投稿: 明天会更美好 | 2010.05.31 20:06

たとえば、長江以南の南方の広東、福建などの方言では、多くの動詞が二音節ではなく、一音節で表現されます。

このため、バックグラウンドが南方のネイティブが、普通話で二音節の語句を使用する場合、離合詞であってもなくても、二音節目を離合詞っぽく使用することはよくあるんです。

このあたりが先のブロガーさんの記事「離合詞じゃなかった」の中で、ネイティブでも個人で分かれていたという原因と思われます。

ですから、本当の「普通話」はちゃんと離合詞であるかで、言い方を分ける必要があると言うことですね

投稿: 明天会更美好 | 2010.05.31 20:44

明天会更美好さん、こんにちは。

コメントありがとうございます。中国語を専門にしている方から意見をいただけるのは励みになります。

>まぁ、文法にとらわれすぎないほうがいいってことでしょうか。

「文法にとらわれすぎ」ることって、どんなことなんだろうと興味がわきました。。世の中では「文法」という用語がいろいろな場合に使われていて守備範囲が広そうなので、ちょっと確認させてください。

まずは手ごろな参考資料として、三省堂「大辞林 第二版」を見てみました。

(1) 言語を文・語などの単位に分けて考えたとき、そこに見られる規則的な事実。文法的事実。
(2) (1)の事実を体系化した理論。文法論。
(3) 文章の作法。文章を作る上でのきまり。

明天会更美好さんのコメント中での「文法」は上記 (2) の意味だろうと考えました。つまり、
「本に書いてある文法事項にとらわれすぎると生きている言葉がわからなくなるよ」
ということです。これはそのとおりで、本になった「文法のミイラ」を振りかざしてあーだこーだ言うのは不毛だと思います。


いっぽう、大辞林の (1) の意味での「文法」は「幽什么默」にはしっかりと生きているように思います。中国語を使う人には何らかの法則に従って表現する能力が内在していて、その能力を共有する(多くの--おそらく億単位の)人は「幽什么默」を自然に受け入れているようです。今まで学習してきて、
「中国語って間にはさむのが好きだな」
といろいろなときに感じます。音から転写した「幽默」という語でも、ひとたび自分の手のひらに乗せたら得意のサンドイッチ技をかけてしまう。文法の強い支配を感じます。

>うちらが日本語の「お茶する」と言う言葉を文法的に説明できないのとよく似ている気がします

ここでも、
「『お茶する』という表現は『本になった』文法典では(まだ)説明がつかない」
という意味だと理解しました。「お茶ぴーひゃら」や「お茶燃やす」ではなく「お茶する」という表現を選び取ってお互いに理解できているのですから、日本語の文法の支配を受けていると考えます。


「文法"典"偏重」には問題が多いと思います。受験や資格試験など、画一的にてっとりばやく成績(序列や合否)をつけるには便利なので大人気(?)なのでしょうね。このおかげで「文法」という用語のイメージがだいぶ汚染されてしまったようです。

いっぽう「文法の学習」は学習者に必要なのにまだまだ足りず、良質の教材がこれから出てくるのを期待する状態じゃないかと思っています。中国語の本やテレビ、会話に出てくる様々な表現を手袋の中の手のように支配する文法。これを掘り出してわかりやすく示せば私のような成年学習者には大きな助けになるはずです。


文法の (1) の意味を話題にするなら、
「文法なんてつまんないから、もっと自然な表現を自分のものにしたい」
「文法は会話には役にたたない」
という(英語学校や参考書でよく見聞きする)主張は意味をなさないですね。文法があるから自然な表現になるし、お互いに話ができるわけで...。紙になった文法のことを指すわかりやすい用語があると便利かなと思います。

投稿: Shira | 2010.06.08 19:08

'06-11NHKラジオ中国語講座(応用編/小林二男)テキスト('05-2の再放送)にも語句・文型の説明でこういうのがありました。
-引用-
【正小着她的心】 彼女に対して注意を払っている。“小心”は1語であり,通常“小”と“心”の間に他の成分が入ることはない。「彼女に気をつける」はふつう“小心她”・“对她小心”と言う。ここでは“小心”を“生气”・“告状”・“开玩笑”(いずれも「動詞+目的語」構造)などと同じ構造と見なした表現であろう。これらは時に“生他的气”(彼に腹を立てる)・“告我的状”(私を告訴する)・“开他的玩笑”(彼のことをからかう)のように動詞・目的語の間に「人を指す名詞・人称代名詞+“的”」を修飾語として加え,その人が動作の対象であることを示す形をとる。
-引用-

投稿: Saito | 2010.06.08 20:40

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